レッドビールの歴史
代表的な生産者1【 ローデンバッハ醸造所 】
1820年にアレキサンダー ローデンバッハ氏が兄弟と一緒に醸造を始めました。1936年に西フランダース州のルーセラーにある醸造所を買収し本格的に醸造が始まり、創業年はこの年に設定されました。
醸造所内の熟成蔵には高さ5メートル幅3メートルの巨大なオーク樽が約300基立ち並んでおり、その眺めは見るものを圧巻します。醸造所内には樽職人がおり、空になった樽の中に入り込んで洗浄し、鉄枠をはずして解体し、10センチ程あるオーク板の内側の1ミリ程度削り、組み立てる元通りにすると言う作業を現在も行っています。
創業一族は、ベルギー史をそのまま語ることのできる様な、政治家、外交官、医師、作家、詩人、貿易商達を輩出した名門の一族です。
一族の一人「アレキサンダー ローデンバッハ」は子供の頃から目が不自由にも関わらず、ベルギー建国にも一役かったすぐれた政治家で、初代ベルギー国王レオポルド一世戴冠して、初めてバルコニーから民衆の前に現れた時、その傍らにいたそうです。
ベルギーの醸造所の多くは、二度の大戦中に侵略してきたドイツ軍に散々な目に遭わされているのですが、ローデンバッハもその一つです。戦後再興し、伝統的な手作りビール一筋でベルギー最大規模の醸造所を維持していました。しかし、若者のビール離れもあり、1998年、倒産の危機に陥ります。そこでローデンバッハ醸造所は、醸造グループPALMの傘下に入りました。
醸造所の周りを車で少し行くと、パルム醸造所やマルール醸造所があり、『ついでに』行くにはあまりに回りに何の見所もない立地。でも、数あるベルギービール醸造所の中で、ぜひお薦めしたい醸造所のひとつ。数百の巨大なオーク樽に圧倒されながら、その中に眠るビールのひそやかな息遣いを感じてほしい。70年代にお役目を終えた製麦炉の塔が、今でもほぼ完全な形で敷地内にその勇姿を見せている。経営がPALMの手に移ってから改装などで一時期見学不可となっていましたが、サイトを見る限り、どうやら再開している様子。それも、見学だけではない、ビールクイジーヌと合わせたグルメコースなどもありそう。それもそのはず、RODENBACHは料理との相性もよく、ビールクイジーヌには定番のアイテム。
代表的な生産者2【 ヴェルハーゲ醸造所 】
醸造所と製麦所はアドルフ・ヴェルハーゲ(Adolf Verhaeghe、1851-1918)とポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe、1860-1936)のふたりの腹違いの兄弟によって1892年に始まりました。アドルフはほどなくして醸造・製麦ビジネスから退き、石炭取引や農薬、石工所といった自分の他のビジネスや地方政局に専念しました。
醸造所の立ち上がり時期にポールは、義理の兄弟であるフレデリック・ヴァンデルハーゲ(Frederic Vanderhaeghe、1844-1923)に手助けをしてもらいました。フレデリックはゲント出身の醸造技術者一家の息子でした。
醸造所や製麦所は完全な石造りで、アドルフの石工所からの石が使われました。醸造所周辺の家々の建築にもこれらの石が使用され、そういった家はパブとしても土地の人に貸し出されていました。こんなやり方で醸造所は地域での消費を確保していたのでした。ビール造りに使用する小麦は周辺の農地から持ち込まれていましたが、その農地もまたヴェルハーゲ家が所有していました。当然ながら、醸造所の最初の客層は殆どが近辺に住んでいる農家の家族でした。
後になって、首都ブリュッセルへの鉄道線路の近くに建っていたという戦略的な位置がこの醸造所発展のきわめて重要な要素となり、客層の地盤が醸造所近辺の枠を越えて拡がっていくことになりました。
第一次世界大戦の勃発が、醸造所の発展に突然ストップをかけることになりました。醸造所は、ポールがドイツ軍へのビール醸造を断った後ドイツ占領軍によって完全に取り壊されてしまいました。戦争の弾薬製造材料として銅製品を再利用する目的から、他の多くの醸造所の醸造設備もまたドイツ軍によって持ち去られました。
1937年にレオンとヴィクター・ ヴェルハーゲ(Leon & Victor Verhaeghe)が、彼らの父親がやっていた醸造-製麦ビジネスを再開しました。ふたりの兄弟は共に、よその土地の醸造家一族から娘をお嫁さんに貰い、操業を強化してゆきました。
その後、第二次世界大戦の勃発によって二度目の災難に見舞われます。麦芽の総体的な不足から、醸造所はアルコール度数0.8%といったような非常に軽い、いわゆる「ゼロ・ハチ」(zero-huit)と呼ばれたビールを醸造できたにすぎませんでした。醸造所が所有するパブの多くもまた、すさまじい爆撃によって商売どころではありませんでした。
戦後、市場ではピルスナータイプのビールが一層その存在を強めていましたが、ヴェルハーゲ醸造所は上面発酵ビールに特化し続けました。
1960年代中頃以降から、もっともっと多くの人々が地方に深く根ざしているオリジナルなビールの味を再発見しつつありました。この新たな市場傾向が、西フランダース地方の典型的な産物である、伝統的な赤褐色のエールビールの生産に主体を置くことで、醸造所の発展に前向きの衝撃をもたらしました。
現在、醸造所はカール・ヴェルハーゲ(Karl Verhaeghe)と彼の姉妹によって経営されており、年間生産量は6,500HL見当になっています。
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