シメイの歴史と醸造所
シメイの歴史
シメイのスクールモン修道院(ノートルダム大修道院)の修道僧は、一般にはトラピストとして知られている、厳律シトー修道会に属しています。
彼らの生活の中心は労働であり、労働によって最も貧しい人たちへの援助を確保するために懸命の努力をしています。
昔から修道僧の労働は、穀物や野菜づくりが多かったようですが、最近はそれが軽工業、食品と農業活動の小規模な産業にまで発展しました。
これが、修道僧たちが国内の北部でビール醸造を何世紀もの間続けてきた背景です。
それゆえ、長年に亘って、修道院が醸造技術向上の主人公となってきたのです。
今や醸造技術は最新鋭の科学的方法を採り入れたスクールモン修道院において、完璧の域に達しています。
スクールモン修道院は、さまざまな地場産業を興して最大の雇用主となり、この地域に力強い刺激を与えました。
修道僧たち自身が新分野の開拓者となる役割はもはや必要ではなくなり、祈り、学習そして手先の労働の間で過ぎて行く神への献身を続けるために、修道僧たちは次第にこれらの企業活動から身を引いて行きました。
中世からビール自体の生産は行われていいましたが、トラピストビールとしての生産がシメイ醸造所にて始まったのは、1862年からとなっており、当初は地域の失業者を雇用する目的であったと伝えられています。
1876年からはチーズの製造も行うようになり、他のトラピストビールと同様、シメイの販売による利益は、修道院の活動および地域の開発にのみ当てられています。
現在、シメイトラピストビールの生産と販売は、シメイビール株式会社によって行われています。
製造は修道院内の醸造所で行われ、院内に設置された井戸水が使われています。
製造過程で出る、麦汁を作った後の麦のカスなどはチーズを作る雌牛の飼料に利用されている。
醸造後、発酵を終えたビールは12km離れた「ベイルゥ」という町の工場へ輸送されて瓶に詰められている。
そういて瓶詰めされたビールは3週間程の再発酵期間を経ながら世界中へと送られています。
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