ホワイトビール

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ヒューガルデン醸造所について

ホワイトタイプのビールはブリュッセルの東、ルーヴァン近くの小さな村「ヒューガルデン」で生産が栄え、 村に残されている文献には1318年にはビールが醸造されていたと記されています。 15世紀にはベガーデン神父がこの地に訪れ、ホワイトビールの醸造を始め、 この地区のほとんどの場所で飲むことができたと言われており、16世紀にはこの地にビールギルドも設立されました。
1500年以降、この辺りはリエージュ教皇に属する飛び地でした。
そのおかげでビール醸造、販売の税金などが免税されており、醸造業が盛んになったと言われています。 1700年代にはリエージュ公の領地にビールが送られていたと記述に残されています。
1709年 ヒューガルデン村に12箇所のビール醸造所が設立。
1890年 村内に最大の35箇所のビール醸造所が設立。
1900年 産業革命後、ピルスナービールとの競合や、世界大戦により廃業が続き13箇所に減少。
1935年 廃業は続き、4箇所に減少。
1957年 最後のホワイトビール醸造所「トムシン」閉鎖。
ベルギーで生まれた「ホワイトビール」が歴史から姿を消してしまいます・・・。

しかし1965年、ホワイトビールに劇的な変化が起こります。
生きながら「伝説の醸造家」として語られる「ピエール・セリス」の登場です。

トムシン醸造所の隣に住んでいた牛乳屋のセリス氏は若い頃醸造所で働いていたこともあり、以前からビール醸造に興味を持っていました。

彼は牛の仲買人をしている父親から借金をし、廃業した醸造所から醸造設備一式を買い、ホワイトビール造りに着手。 翌年の1966年、見事にホワイトビールを復活させ、1977年には古いレモネード工場を買い取り「デ・クライス醸造所」を設立しました。 醸造所の名前は1400年代にヒューガルデン村でビール醸造を始めた修道院にあやかって付けたそうです。 そのせいでしょうか?ホワイトのラベルには「since1445」と書かれています。
復活当初は年配のビールファンが懐かしがって支援をしてくれると思っていましたが、実際には若者にうけました。 従来のエールビールのフルーティーさを備え、新進気鋭のピルスナービールに負けない飲み口の良さ。 それに加え、ボトルの底の澱を見て人々はナチュラルなビールと言うイメージをうけた様です。 口コミでホワイトビールの噂は一気に広まり、デ・クライス醸造所は急速に大きくなりました。

ところが1985年に醸造所の一部が火事により焼失してしまいました。 この火事はセリス氏一人の財力では再興することができない程の損失を負ってしまった為、 インターブルー社(現インベブ社)の傘下に入り、再興を果たしました。 この時、醸造所名を「ヒューガルデン醸造所」に変更しました。

15世紀に醸造が始まった「ホワイトビール」は一旦歴史から姿を消したものの、セリス氏の精力的な醸造活動で見事な復活を遂げ、 今では世界各地で愛飲されています。
2009年現在、ピエール・セリス氏は齢87歳。 いまだ現役でホワイトビールを愛し、精力的に醸造活動を行っています。

紆余曲折ありつつも、600年以上愛されている「ホワイトビール」。
携わったすべての方に敬意と感謝を込め

「乾杯!!」 

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